♪ 鞭聲~粛々夜河を過る
越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄による信濃の「川中島の戦い」は、1553年の第1次から、最後の1564年の第5次に及んでいます。最も激戦であったのが1561年(永禄4年)の第4次の戦いであり、”川中島の戦い”と言えばこの戦いを指しています。
「鞭聲粛粛夜過河‥」の漢詩は、江戸時代後期の漢詩人、歴史家であった頼山陽が、自分の「日本外史」の資料から、上杉謙信の胸中を察して詠んだと言われております「題不識庵撃機山図」(不識庵機山を撃つの図に題す)です。その第一句目を刻んだ石碑が、戦場となった千曲川の”雨宮の渡し”であった長野県千曲市雨宮(あめのみや)に建っております。
*「不識庵」とは上杉謙信の法号で、「機山」とは武田信玄の法号です。
♪ 鞭聲粛粛夜過河 (べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる)
暁見千兵擁大牙 (あかつきにみるせんぺいのたいがをようするを)
遺恨十年磨一剣 (いこんじゅうねんいっけんをみがき)
流星光底逸長蛇 (りゅうせいこうていちょうだをいっす)
(詩の意訳)
上杉謙信の軍はひっそりと鞭音も立てないで、夜の内に千曲川を渡って川中島の敵陣に攻め寄せた。武田軍は、明け方霧の晴れ間に上杉の大軍が大将の旗を中心に守りながら迫ってくるのを見つけた。この戦いで、謙信は信玄を討ち取ることができず、謙信の心中を察すると、同情にたえない。この十年の間、一ふりの剣を研ぎ磨いて、その機会を待ったのであるが、打ち下ろす刀光一閃の下に、信玄を取り逃がしたのは無念であった
(吟詩文化協会)
http://www.kangin.or.jp/learning/text/japanese/kanshi_A11_2.html
(石原洵子)
https://www.youtube.com/watch?v=olguD6WJ3Qc
*第4次の戦いにおいては、甲越両軍3万2000人の内、83%に当たる2万7000人余が戦死したと言われ、”関が原の戦い”と共に”日本ニ大戦史”の一つに数えられております。
*NHKの大河ドラマ「風林火山」の際に作られたアニメーションの”第四次・川中島の戦い”です。
https://www.nagano-cvb.or.jp/furinkazan/index.php